【遭遇】そう‐ぐう〔サウ‐〕
   [名](スル)不意に出あうこと。偶然にめぐりあうこと。「事件現場に―する」
    類義語 際会(さいかい) 逢着(ほうちゃく)
                                         ――デジタル大辞泉より


Backstage[Side‐stage] 
 遭遇、もしくはとある女の回想記。














 思わぬ遭遇は、ありきたりな無人の休憩室からであった。



「――アンタはっ!」


 今思えば、気づかなければ良かったと赤司鐶は後悔した。
 支部のお使いで、書類を取ったまま、少々体力的にきついがそのままとんぼ返りで戻れば良かった。

 しかし、そんな後悔をかなぐり捨てて視界が赤く染まるような激しい激情に駆られたまま、
 目の前の男の胸倉を掴み上げそのまま白い壁に叩き付けて、元々悪い目をさらに眇めて顔を覗き込む。

「・・・あっれー。ああ、えーっと・・・あ!」

 赤司に胸元をつかまれ、壁に強かに頭をぶつけた男は顔を顰めて、呻き声を上げたあと、
 怪訝そうに赤司の顔を見つめ、何かを思い出そうとしている風に視線を泳がせると、
 至極納得した表情を浮かべ、気の抜けた笑顔を作ると明るく間の抜けた声を上げる。

「誰かと思ったら、たまちゃんか。5年振り位だっけ?
 ひっさしぶりー。あはっ、美人になったねぇ。」

 胸倉をつかまれたままで、物怖じもせずにからからと調子よく笑う声、表情、そして仕草
 どれをとっても「昔」とさして変化の無い男の明るさに、少しばかり赤司は背筋の寒い物が走る。
 纏わり付く恐怖を振り払うように、赤司は語気を荒げる。

「・・・如何して、アンタがここに居る。ここに存在する。
 何故、あんな真似をした、何故、私の前に現れたんだ、答えろ、犀鳥ッ!」

「あははっ、怖い顔しないでよ。
 ってか、冷たいなぁ。昔みたいに兄さんって呼んでもいいのに。」

「誰がアンタみたいな狂人を兄呼ばわりするか。いいから答えろ!」

 少し起していた頭をまた強かに打ちつけ、犀鳥と呼ばれた男はいてっ!と声を上げる。
 赤司はそのまま噛み付きかねない勢いで、さらに胸倉を掴む腕に力を込めた。
 犀鳥は暫し、赤司の顔を見つめた後にくるりと視線を遠くに向け、考え込む様な表情を見せる。

「見逃して欲しいんだけどなぁ。難しい事聞くねー、相変わらず。」

 眉間に皺を寄せ、唇をへの字に結んだ犀鳥は、うーんと唸るばかりで、一向に返答らしいものを出さない。
 “昔”と変わらぬその動作も、赤司にとっては腹立たしい以上に気味が悪いものに感じられた。

「いい加減にしないとそのベラベラ動く口を二度と動かないようにするぞ。」

 今にも睨み殺さんばかりに鋭い赤司の表情に犀鳥は、溜息を付く。ちらりと冷めた目で赤司の表情を伺い、
 目の前のが冗談を聞けそうもない事を悟るともう一度大きな溜息をわざとらしく付く。
 うかうかしていると、本気で切り殺されかねない。

「あー、わかった降参、降参。喋るからもうちょっと離れてくれると嬉しいな。
 こんなところで他人にこの場面見られたら誤解されちゃうしさー。」

 軽く両手を肩ほどまで挙げると、犀鳥は苦笑いを浮かべる。昔――確か、最後に見たのは五年程前だったか。
 高々片手で数えられるほどの年月で人間がそう変化するわけも無いか、と懐かしくも忌わしい様な気持ちを抱く。
 しかし、自分もそう内面の変化はあるまい。いや、相手よりも尚性質が悪い方向で変化している可能性はあるが。

 ソレを聞いた赤司は、小さく舌打ちするとそのまま手を離し、数歩後ろに下がる。
 

「それで、何故アンタがここに居る。」

「何でって言われてもねー、お仕事だよ、お・し・ご・と。」

「・・・アンタみたいなジャームと紙一重がUGNに居れる訳が無いだろうが。
 言え。あくまでふざける心算なら、本当にその首と胴体泣き別れにさせるぞ?」


 取り付く島も無くばっさりと切り捨てた赤司に、犀鳥は目を細める。その視線には、
 久し振りに会った妹を見つめるような懐かしさを孕んだ中に、どこか冷めた無関心さがあった。
 またその視線がひどく、居心地の悪いものだった。まるで、今朝みたあの夢のような――。
 不意に、それに気づいた瞬間、赤司の身体にざわざわと血が騒ぐような高揚感が湧き上がる。

 ぶるりと身震いする赤司に、犀鳥は喉の底から笑いを一つ漏らす。

「――さぁて、どうだろうね?」

「・・・随分と気を持たせるような言い草だな。」

 奥歯をかみ締め、赤司は唸るようにそう吐き捨てる。
 その言葉に犀鳥はまた愉快そうに笑いを漏らし、そして考え込むように顎に手をやる。
 
「まぁ、実際ここでお仕事しているのは事実だよ?
 それは変えようもないし、覆しようもない事実さ。
 もし、仮に――そうだね・・・ああ。俺がFHあたりの人間だったとして・・・だ。」


 キミに証明できる?


 問いと共に明け透けでどこか隙の有る笑顔はどろりと濁る。
 それと共に周囲の空気まで淀み、濁り、沼の底のように鈍い色調に塗りつぶされる。
 そんな錯覚を赤司は覚えた。まるで、今朝の悪夢のような――










 染まる染まる、赤く赫く、深く深く。
 何時もの道場は、何時ものすがたではなかった。
 
 鉄くさい匂いが立ち込める。どこか遠い所で呻き声が聞こえる。
 酷く全身が痛む。どうして、どうして、どうして。
 「わたし」はうっすらと目を開く。やはり夢ではなく、悪夢のような現実だ。

 何故だろう、にいさんが笑っている。
 何故だろう、みんながたおれている。
 何故だろう、からだがとてもいたい。
 何故だろう、何故だろう、何故だろう。

「っくぅ・・・ぁ、うっ・・・。」 

 口を開くけれど、呻き声しか出ない。どうしてと聞きたいのに。
 掌を見るとぬるりとした赤いものがべったりと付いていた。
 わたしの血なのか、それともこの場に倒れているみんなのものなのかはわからない。

――どくん。

 痛みでチカチカする頭の中に、不意にあついものがひろがった。

――どくん、どくん。

 あついものはどんどんと広がって行く。

――どくん、どくん、どくん。

 いつのまにか、頭の中にあったたくさんの「どうして」は怒りに変わった。
 どうして、みんなが。どうして、わたしが。どうして、あなたが。
 そうしたら、どんどんと体の中がざわついて来た。
 何故、どうして、ゆるせない。血があつい。体がざわつく。視界が赤くちかちかする。
 自分ではないような自分が、囁く。刀を取れ、立ち上がれ、身体を再生しろ、目の前の「ソレ」を切り伏せろ。
 ざわつく感覚が広がるのと同時に、痛みがすうっと引いて来た。

「ああ、やっぱり。アタリだったんだね、良かった!」

 赤く染まって怪しい光を放つ刀を手にして、血まみれで心底嬉しそうに笑う男に、
 また、腹の底が焼付くような感覚を覚えた。
 その感覚が、酷く楽しいものに思えてきた。たのしい、とてもわくわくする。
 そうして気づけば、わたしは――― 







 記憶の笑顔と、目の前の笑い顔が被って見えた瞬間、赤司の全身がまた騒ぎ出した。
 訓練されていない昔ならいざ知らず、今の状態ではありえない全身を駆け巡る衝動を
 押し殺すために、思わず自分の身体をかき抱く。


「あははっ、どーしたのさ。突然顔真っ青にしちゃって、大丈夫?」

「う・・・るさいッ!触る、な――ち、かづ・・・っく・・・」

 伸ばしかけた犀鳥の手を赤司は力強く突っぱね、意識を自分の内へと向ける。
 呼吸を巡らし、考えを虚無に沈め、全身をゼロにする、そんなイメージを巡らせて行く内に
 血管を通して体中に蟲が這い回るような嫌悪感のある“何か”が徐々に消えてゆく。

「っは・・・は、は、は・・・ゲホッ、ゲホッ!」

 並みが過ぎ去ると、そのまま崩れ落ちるようにリノリウムの床に
 赤司は座り込み咳き込むと、過度な呼吸を繰り返す。
 換気の行い過ぎにより、視界は白み指先から徐々に冷えて麻痺するような感覚が広がり、
 背を丸めてまた激しく咳き込む赤司の背を何かが触れる。この場にいるのは犀鳥だけ。
 少し視線を上げると、犀鳥がしゃがみこちらの視線に併せながら背を撫でていた。
 それを振り払う力も今は無い。なすがまま、鋭い視線だけ投げかけ、赤司は呼吸を整える。

「よしよし。久し振り・・・ってか、アレ以来だもんね。まぁ、無理も無いよ。
 そのままゆーっくり、息吸って。そそ、良い子いい子。そのまま、ゆーっくりだよ?」

 撫ぜ摩る手が妙に暖かく感じられる。犀鳥の言うまま呼吸を続けると、
 そう時間はかからない内に先ほどとはまた逆に、体温が指先へと戻ってゆく。

「はい、良くできました。」

 にっこりと笑うと犀鳥は、ぐしゃぐしゃと頭を軽く撫でると立ち上がる。
 その手を赤司はぼんやりと神経が白い膜に覆われたような夢とも現とも付かない心地のまま見送り、
 緩慢な造作で壁に手を付き立ち上がる。

「・・・」

「やー、懐かしいね。実家のころはこうやって稽古失敗した鐶ちゃん慰めてみたりさー。
 ・・・でも、後悔も反省も何も無いよ、俺にはね。」

 言葉を返さぬ赤司に、なおも滔々と犀鳥は続ける。
 独り言のような、昔話のような、口調に黙ったまま赤司は耳を傾ける。

「ほーら、あの本家の爺様がいってデショ?
 “アレらは鬼に成る”って。――まぁ、外れちゃいなかったみたいだね。
 俺としてはあんなクソ狭いド田舎で狢になるよりは、
 広い世界であの狸爺の言う鬼に成ったほうがいいと思うけどさ。」

 顔を覗き込むようにした犀鳥は笑いながら、軽い調子で吐き捨てる。

「まぁ、俺も君も今じゃ立派な人斬りだ。」

 その言葉に否定の返答は無かった。否定できるつもりも、あるいは否定する気も無かったのかもしれない。
 赤司は視線を落としたまま、擦れた言葉を吐き出す。 


「――それでも、アンタとは違う。」


 抜き身の刃のように冴える眼光に、犀鳥は軽く肩を竦めて苦い笑みを浮かべた。
 口調は相変わらず軽薄なもの。笑顔も真意を悟れないが
 どこか作り物染みている薄っぺらいものだが、少し、違ったように赤司には感じられた。

「・・・なーるほど。どこまでも鐶ちゃんらしいね。ま、がんばんなよ。」

 踵を返す犀鳥だったが、思い出したように振り向くと、ああ忘れていたと小さく呟いた。


「まだ、何かあるのか。」

「まぁ、ね。犀鳥犀鳥って呼んでるからさー、
 その名前じゃいつまでたっても俺の尻尾つかめないと思って、ヒントをね。
 犀鳥は君が殺した男だ、死んじゃってるし、今の俺じゃない。――“青江”だ、今の俺は。」

 ころした、と言う単語に少しだけ赤司の肩が跳ねる。

 その様子を気づ居ているのか居ないのかそれだけだよ、と
 犀鳥――もとい、青江と名乗った男は薄くまた笑う。
 先ほどの淀んだ笑みでも、先ほどから浮かべている浅薄に笑う顔でもなく、
 心底愉快そうな笑顔だ。同時に、前と違う汚泥のようなおぞましさが潜んでいた。


「君のことだから、引き摺りそうも無いけどさー。
 まぁ、憎かったら頑張って探してもう一度殺しにおいで。俺も喜んで君を迎えてあげるから。
 一生会わないかも知れないけど、またね。元気に強くなるんだよー、弱かったら詰まんないもん。」

 
 遠くから低い男の声がする。“青江”と呼ぶ声には少々と言わず、
 かなりの苛立ちが含まれており、その声に、うわっ、ヤバイと小さくもらすとまた男の表情は変わる。
 どこにでも居そうで、どこにでも在りそうで、酷く在り来たりで人の良さそうな
 ――まるで昔のあの男がそのまま成長したような。そんな顔をしていた。


「・・・オマエの思うとおりに誰がするか。どこかで野たれ死ね、阿呆が。」


 赤司は、呆気に取られた自分を恥じる代わりに、八つ当たり気味にはき捨てる。
 そのまま青江の消えた方向とは間逆に足を向けると、背筋を伸ばし
 振り切るように肩に風を切って赤司も休憩室を後にした。








 後日、青江という人物を照合したものの、バタバタと忙しそうな支部からは
 そんな人物が居た形跡は全くないと言う返答が帰ってきた。
 まるで煙のように、霧のように、アレは夢だったのだろうかと思えるほどに
 綺麗サッパリと、記憶の残滓すら残さずに消えていたのだ。
 それと同時に、根も葉もない噂のような話でどこぞやで自分のセルに反旗を翻し、
 離反した人間が出たという話を耳にする。
 その中に居た男は、どの場でも軽薄に笑うどこにでも居そうな男だった。
 そんな話を聞き、赤司は大きな溜息を吐いたと言う。

「・・・あの、狂人が。本当にどうしようもないな。」