昨日と同じ今日。今日と同じ明日。
 
世界は繰り返し時を刻み、変わらないように見えた。
 
だが、既に世界は大きく変貌していた。
 
それはこの小さな店の中でも例外ではない。
 
DoubleCross The 3rd Edition Short Story 「『Easy Living』にて」
 
ダブルクロス────”裏切り者”たちの集う店で流れる非日常の時間とは。
 
 
 
 
 
とある街の表通りから少し外れた裏通り。
 
人通りの少ないそこで、『Easy Living』の看板が今日もひっそり灯っている。
 
そんな午後6時の少し前。
 
地上部分にあるわけではなく、住居部分である二階から中空に張り出している目立たない看板の真下にある二重扉を開ける。
 
すると、ここのマスターである川上 力也がグラスを磨いていた。
 
グラスを磨きながら流れいてるJazzに耳を傾けているようだ。
 
レコードを載せたターンテーブルが回り、ターンテーブルの上にはジャケットが飾られている。
 
ハンプトン・ホーズの『The Trio 1』。
 
この店では力也が一人の時によくかかっているレコードである。それもB面が。
 
川上 力也 :「さて、そろそろ開店か。今日は何人来るかなー…」
川上 力也 :「まぁ、来ないなら来ないでいつも通りだから別にいいけど…」
 
そう呟いたところでスピーカーから音が止み、ほんの少し静寂が店を支配する。次の曲に移るようだ。
 
少しの静寂を挟み、再びJazzが店に漂う。
 
川上 力也 :「…やっぱこれ聴かないと一日が始まらないよなー」
 
「Easy Living」。彼の一番のお気に入りであり、また、コードネームでもある
 


Living for you is easy living              君のために人生を捧げて生きる
 
It's easy to live when you're in love          なんて幸せな生き方なんだろう

And I'm so in love there's nothing in life but you    君に愛され、君を愛する。人生に君しかいないみたいに

I never regret the years I'm giving           君に捧げた年月を悔いはしない。僕は喜んで捧げてきたんだから

They're easy to give when you're in love         君と恋に落ちて生きるなら、君に尽くすことは少しも惜しくなんかないよ

I'm happy to do whatever I do for you          君のためなら僕はなにをするのも幸せなんだ
 
 
 
曲に合わせて歌詞を口ずさむ。
 
口ずさみながら、ターンテーブルの横に目線を移す。
 
そこには伏せられた写真立てがあった。
 
手を伸ばし、写真立てにそっと触れる。優しく掴み、持ち上げる。
 
川上 力也 :「店の名前も内装も変えずに、君と一緒にいた頃のままこんな曲を聴いてるって知ったら…君はなんて言うかな?」
川上 力也 :「それに公也…お前もいつかお父さんのしたこと分かってくれる日が…まぁ来ないよな。俺と同じ境遇にならないと」
 
写真の中に写っているのは3人の男女。どうやら家族連れのようだ。
真ん中に男の子が、その両隣に夫婦であろう男女が男の子に寄り添っている。
 
川上 力也 :「いつかまた、こんな日常に戻れたら………なんて言ってないで、ちゃんと仕事するか」
川上 力也 :「まぁ、その前にお客さんが来ないと働きようもないけどな。あ〜ぁしかし暇だなー」
 
時計を見ると午後6:20を差している。
 
と、そこで二重扉が重たい音を立てて開かれた。
 
川上 力也 :「いらっしゃいませ、『Easy Living』へようこそ」
 
元岡 稔  :「よう川上さん。お邪魔するでー」
 
入ってきたのは、元岡 稔。ここの常連の一人。
UGNエージェントとして活動しており、任務に入る前や終わった後、また任務中でも平気に飲みに来るほどの常連だ。
 
川上 力也 :「なんだ稔じゃないか。今日はえらく早いな」
川上 力也 :「なるほど、さてはまた暇になったな」
 
そう言いながら、手に持っていた写真立てを奥にしまいこみ、伏せる。誰にも見られないように。
 
元岡 稔  :「まぁな、そやないとなんぼなんでもこんな早く来れへんて」
元岡 稔  :「もう今月いる分は稼いだからええねん。あとはいつも通りだらーっと暮らすねん」
元岡 稔  :「そういうわけで、とりあえずカンパリソーダからいこか。あ、レモンとかいらんで」
 
川上 力也 :「お前は欲がないなー。もっとがんばればもっと割りのいい仕事とかも回ってきて稼ぎも良くなるんじゃないの?」
 
そう言いつつ、冷凍庫からランプアイスを2つ取り出し、タンブラーに入れて軽くステアし角を落とす。
そのままバックバーに向き直りカンパリを、冷蔵庫からソーダを取り出す。
慣れた手つきでメジャーカップにカンパリを注ぎ、タンブラーに移す。そしてソーダでフルアップし、ステア。
 
川上 力也 :「カンパリソーダお待たせ」
 
元岡 稔  :「あんがと。まずはこれで胃とか肝臓を落ち着けよか」
元岡 稔  :「ほんで、そんなんしたら、稼ぎはええかもしれんけど危ない任務が増えるやろ。そんなしょうもないことで死ぬんはイヤやねん」
元岡 稔  :「それに、欲がないのは川上さんも一緒やん。イリーガルとして受けた依頼の報酬は別れた奥さんに全部渡してるんやもんな」
元岡 稔  :「そんなんしといて、肝心の自分の食い扶持のほうが稼ぎ悪かったら本末転倒やで」
 
川上 力也 :「…痛いとこつくなお前。そんなこと放っといてくれたらいいのに」
 
苦笑しながら、身体の影に隠し持っていた写真立てをターンテーブルの奥に置き、見えないように伏せる
 
川上 力也 :「それに心配しなくても、俺一人なんとか食べていけるくらいは稼げてるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
 
元岡 稔  :「ふーん、そうなん。ならええねんけど」
元岡 稔  :「せやけど、こうもガラーンとしてたら心配の一つもしたくなるで」
 
川上 力也 :「…まぁな」
 
すると、そこでまたバーの二重扉が開かれる。
 
川上 力也 :「いらっしゃいませ、『Easy Living』へようこそ」
 
いつものと同じように入ってきた客を迎える。
  
上山崎 昌彦:「こんばんはー。今日も相変わらずガランガランですねー」
 
入ってきたのは、上山崎 昌彦。近くの会社に勤めるサラリーマン。UGNイリーガルとして登録されている。
帰り道ということもあり、この店にはちょくちょく来る。彼もこの店の常連の一人だ。
 
上山崎 昌彦:「あれ、元岡さんじゃないですか。今日は早いですねー」
 
川上 力也 :「昌彦、入ってくるなりご挨拶だな」
 
元岡 稔  :「なんや上山崎かいな。そう言う自分もえらい早いやんけ。ちゃんと仕事終わらせて来たんか?」
 
上山崎 昌彦:「もちろんですよ、社会人としてあたり前じゃないですか」
上山崎 昌彦:「そういう元岡さんはどうなんです?まさかまた任務中に……?」
 
元岡 稔  :「失礼なやっちゃな!今は普通に任務終わって身体があいてんねん」
元岡 稔  :「まぁ、任務中でも普通に来るけどな。とにかく今はちゃうから大丈夫や」
 
川上 力也 :「そこはちゃんとしとけよ稔……。いや、来てくれるのは嬉しいんだけどさ」
 
上山崎 昌彦:「そうですよ元岡さん。あ、力也さん、俺は何かバーボンください。ショットで」
 
川上 力也 :「昌彦、最近バーボンにハマってるなー。こないだ飲ませたのがそんなにおいしかったのか」
 
上山崎 昌彦:「そうなんですよー。今まで甘いカクテルしか飲めなかったんですけど、こないだのバーボンがおいしくて色々飲んでみたいなーと」
 
川上 力也 :「そっか、それはよかった。それじゃ…うーん、何がいいかな。飲みやすいバーボン…あ、ならこれにしようか」
 
上山崎 昌彦:「今日はどんなの飲ませてくれるんすかねー。いやー楽しみだなー」
 
バーボン棚のほうに手を伸ばし、奥のほうからボトルを取り出す。
 
川上 力也 :「バーボン飲みだして間がないなら、これなんかおいしいんじゃないかな、きっと」
 
ショットグラスにバーボンを注ぎ、すっと昌彦のほうに差し出す。
 
上山崎 昌彦:「ありがとうございます。へー、これはなんてバーボンなんですか?」
 
川上 力也 :「セブンクラウンの旧ボトル。今のボトルよりもなんとなく甘い感じがして、それでいてバーボン樽の香りもちゃんとついてる」
川上 力也 :「これはおいしいこと間違いない。昌彦、ちゃんと味わって飲めよ?」
 
上山崎 昌彦:「うーん、確かにいい香り。いただきます」
 
元岡 稔  :「川上さん、俺もおかわり。次はブレンデッドのスコッチをショットで」
 
川上 力也 :「はいよ。今日はペース早いな。そんなんでカンバンまで持つのか?」(笑)
 
元岡 稔  :「大丈夫やって。俺は酒とは上手に付き合ってるから。それより酒の味覚え始めた上山崎のほう心配したれよ」
 
スコッチを出しながら、ふと隣を見る。すると、もう昌彦の持っているグラスの中身は1/3ほどしか残っていない。
 
川上 力也 :「まぁ確かに稔なら大丈夫…って、昌彦、お前それさすがにオーバーペースだろ。ちゃんと味わって飲めって」
 
上山崎 昌彦:「…あ、ついおいしくて。すいません、もうちょっと味わって飲みます」(笑)
 
そこでまた、新たな来訪者を迎え入れるためにバーの扉が開かれる。
 
川上 力也 :「いらっしゃいませ、『Easy Living』へようこそ」
 
菊地 一彦 :「こんばんは。おー、みんな揃ってるねー。あ、力也さん、俺ブランデーをショットでください
菊地 一彦 :「それより稔くん、やっぱりいたんだねー。僕のお店の次はここか」(笑)
 
三人目の客として入ってきたのは、菊地 一彦。ジャズ喫茶『Tea For Two』のマスターだ。
UGNイリーガルとして活動していた妻が死に、その際に妻の店を継いでジャズ喫茶のマスターとなった。
現在では、死後もRBとして生きている妻と共に自身もUGNイリーガルとして活動中。
 
なお、店が終わった後は趣味で探偵まがいのことをやっている。
 
元岡 稔  :「おう、さっきぶりやな菊地。お前もこっち来るとは思わんかったわ」
元岡 稔  :「それよりお前んとこの店ええんかいな。後片付けとかどないしてん」
 
菊地 一彦 :「あぁ、それなら貴子がいるから大丈夫ですよ。夕方は僕が自由にできる時間なので」
菊地 一彦 :「今日は奮発して、マーテルのコルドンブルーにしようかな。ツーフィンガーね」
 
川上 力也 :「おぉ、一彦はいいヤツだな。売り上げに貢献してくれてありがとう」(笑)
 
菊地 一彦 :「…まぁ、お店の様子を見たらね?」(笑)
 
川上 力也 :「…ありがとう、ほんと」
 
元岡 稔  :「よかったやん川上さん。あ、俺おかわり。お任せで」
元岡 稔  :「ところで、さっきからレコード終わってるで。他のかけてーな」
 
川上 力也 :「あ、ほんとだ。ごめんごめん」
 
上山崎 昌彦:「ジャズバーのマスターなのに…」
 
川上 力也 :「まぁこういうこともあるって。だいたい君らが来てオーダー続いてたから変える暇がなかったんだよ」
川上 力也 :「うーん、それじゃ次は何にしようかな…。さっきB面聴いたから今度はA面にしようか」
 
菊地 一彦 :「なんのですか?」
 
元岡 稔  :「さっきのってハンプトン・ホーズのんかいな」
元岡 稔  :「それよりもうちょい賑やかなやつにしてーな。ニューオリンズとかディキシーとか」
 
上山崎 昌彦:「そうですよ、そんな湿っぽいのかけてたらお客さんが寄ってきませんよ」
 
菊地 一彦 :「まぁいい曲ではあるけどねー」
 
川上 力也 :「お前ら…別にここは俺の店だから俺が何かけようが俺の勝手だろ!」(笑)
 
上山崎 昌彦:「…もしかして、川上さんの選曲が悪いからお客さん来ないんじゃ」
 
菊地 一彦 :「あぁ、ジャズがウリのジャズバーで選曲が悪かったらそりゃ来ないよねー…」
 
元岡 稔  :「そういや菊地んとこの店はよう流行っとったな」
 
川上 力也 :「…わかったよ、じゃぁ湿っぽくない賑やかなのかけるよ」(笑)
 
そして渋々レコードを外し、別のレコードをかける。
しかし、新たな来訪者を迎えることなく4人だけの時間が続き、レコードが回り、グラスが重なる。
たわいもない会話が続き、時には途切れ、また始まる。
 
そこには、非日常の者達が過ごす日常が流れていた。
 
そして、その流れを止めて、バーの扉がまた開く。
 
寺井 初美 :「よう、邪魔するぜ力也」
 
非日常の集いに入ってきたのは、寺井 初美。UGNエージェント。
無精髭を生やし、髪の毛は短髪だがボサボサ。ガサツな性格で、口もいいとは言えない。
元岡 稔とは役割的に任務で一緒になることが多いようだ。

川上 力也 :「あぁ、初美さんいらっしゃい」
 
元岡 稔  :「げ、寺井のおっさんかいな。なんでよりによって今日来るねん」
 
上山崎 昌彦:「こんばんは寺井さん」
 
菊地 一彦 :「初美さんこんばんはー。力也さん、お客さん来て良かったね。レコード変えた甲斐があったよ」(笑)
 
川上 力也 :「…あぁ、そういやそうだな。なんか今さらな感じだけど」
川上 力也 :「しかし、今日のお客さんは見事にUGN関係ばっかりだなー…」
 
寺井 初美 :「おうおう、全く揃いも揃ってUGNで見知った顔ばっか並んでるな」
寺井 初美 :「あぁ、それと稔。お前を探してたんだよ」
 
元岡 稔  :「俺のこと探してた?なんで…あ、もしかして…なぁ、続き聞きたくないんやけど。酒飲んでジャズ聴いて帰りたいんやけど」
 
寺井 初美 :「いいじゃねぇか、酒飲んで聴いてりゃ」
寺井 初美 :「任務開始は日付が変わると同時だ。それまでなら好きにしてろよ、黙っててやるから」
 
元岡 稔  :「やっぱりかい!なに勝手なことしてんねんおっさん!もう今月いる分は稼いだから仕事せんとのんびりしたかったのに!!」
 
寺井 初美 :「そう怒るなよ稔。ものぐさなお前の代わりに俺が任務受けてやったんだ、感謝しな」
 
元岡 稔  :「余計なお世話やねん。くそ…今から断ってこよかな。酒飲んでるしたぶんいけるやろ…」
 
菊地 一彦 :「稔くん、せっかくの好意なのにそんなこと言ったらダメだよー。初美さんがかわいそう」
 
上山崎 昌彦:「そうですよ元岡さん。寺井さんだって元岡さんのこと考えてやってくれたんですから」
 
川上 力也 :「二人とも、そういうセリフはもうちょっと表情を悟られないようにして言わないと意味ないぞ。顔がニヤけまくっててただおもしろがってるようにしか聞こえない」
 
寺井 初美 :「まぁなんでもいいからおとなしく受けとけ。これでも俺はお前のこと信用してるんだぜ?」
 
元岡 稔  :「…まぁええか、今回の報酬で高い酒ようけ飲めるってことにしとこ」
 
寺井 初美 :「おう、せいぜい感謝しときな」

寺井 初美 :「さて、それじゃ力也、俺にも何かくれ」
 
川上 力也 :「それじゃ、任務もあるしそこまで強くないやつにしますか」
川上 力也 :「ボイラー・メーカーなら身体も暖まるし、そんなに強くないからいいかもしれませんね」
 
寺井 初美 :「おう、ならそれで頼む」
 
菊地 一彦 :「強いとか弱いとかじゃなくて任務前には飲まないほうがいいんじゃ…?まぁ僕は関係ないからいいですけど」
 
上山崎 昌彦:「要するに出勤前に飲んでるってことですもんね」
 
元岡 稔  :「俺はええねん。酒飲んでるのにこのおっさんが勝手に任務受けてんから。俺は悪ない」
 
寺井 初美 :「一彦も昌彦も細かいことは気にするなよ。それに、俺が悪いなら任務受けてるって知って酒出した力也も悪いぜ」
 
川上 力也 :「だって酒出さなかったら暴れるじゃないですか初美さん…」
 
寺井 初美 :「グハハハハハ、わかってるじゃないか力也。そうそう、おとなしく出しとけば何もしねぇよ」 

川上 力也 :「はぁ…。まぁ、お店が人質ならしょうがないってことにしよう」
 
そしてまた、非日常を生きる者達だけの時間が流れる。
しかし、一日の時間には限りがある。流れる時間は止めることなどできず、それは非日常を生きる者達にも同様である。
 
ふいに、誰かの携帯電話が震た。
 
菊地 一彦 :「ん?あ、昌彦くん、ケータイ鳴ってるよ」
 
上山崎 昌彦:「ほんとだ、菊地さんありがとうございます」
上山崎 昌彦:「あ…尚子からだ」
 
元岡 稔  :「なんや上山崎、相変わらず妹のケツに敷かれてんねんな」
 
寺井 初美 :「まったく情けねぇなぁ昌彦。そんなんじゃお前、結婚しても相手に敷かれっぱなしだぞ」 
 
上山崎 昌彦:「いいじゃないですか、ほっといてくださいよ…」
上山崎 昌彦:「それに、義理なのにここまで心配してくれる妹なんてそういませんよ。すげーかわいいじゃないですか」
 
菊地 一彦 :「そうだよねー、昌彦くんは尚子ちゃんみたいな妹がいて幸せ者だよ。僕のとこなんてさー、あ、僕にもメールきてた」
 
川上 力也 :「一彦は貴子ちゃんからメールか?いい加減に帰って来いって怒ってるんじゃないの?」(笑)
 
菊地 一彦 :「…まさにその通りですよ力也さん。うわー、すごい怒ってる。こんな時間までどこほっつき歩いてるのって書いてる」
 
上山崎 昌彦:「菊地さんとこの奥さん怖いですもんね。いやー、俺はもっと優しい奥さん見つけよっと」
 
寺井 初美 :「なんだ一彦もかよ。まったく最近の男どもは軟弱でいけねぇ」
 
元岡 稔  :「結婚もしてへんおっさんがよう言うわ。他人に言う前に自分はどないやねん」
 
寺井 初美 :「そういうお前もだろうが」
 
川上 力也 :「まぁまぁ、必ずしも結婚しないといけないわけじゃないし別にいいじゃないですか」
 
上山崎 昌彦:「んじゃ、尚子が家で待ってるんで俺はそろそろ帰ります。ごちそうさまでした」
 
菊地 一彦 :「それじゃ僕もそろそろチェックお願いします。昌彦くんと同じく、貴子が待ってるというか怒ってるので」(笑)
 
川上 力也 :「うん、二人ともありがとう。気をつけてね」
川上 力也 :「尚子ちゃんと貴子ちゃんにもよろしく」
 
そうして二人を見送る。
見送られた二人は重い扉を開け、日常に生きる人たちの中へと出て行った。
 
寺井 初美 :「さて、もうすぐ日が変わる。稔、俺らも行くぞ」
 
元岡 稔  :「もうそんな時間かいな。あ〜ぁ楽しい時間はあっと言う間やなー」
 
寺井 初美 :「また終わったら来たらいいじゃねぇか。ほら、さっさと行くぞ」
 
元岡 稔  :「まったくほんま人の嫌がることしかせんおっさんやで…」
元岡 稔  :「川上さん、ほなな。今度こそゆっくり飲むわー」
 
寺井 初美 :「力也、なんならお前も一緒に来るか?客の来ない店にじっとしてるよりも、外に出たほうがいいだろ」
 
川上 力也 :「遠慮しときますよ。UGNの仕事に関しては稔よりもやる気ないので」(笑)
川上 力也 :「それに、たとえお客さんが来なくてもいいんです。お客さんが来なくてもここはバーですから」
川上 力也 :「ここがバーである以上、そこにはバーテンダーがいないとね」
 
寺井 初美 :「ま、ムリにとは言わねぇがな。お前がそれでいいならいいさ」
 
そう言って二人は席を立ち、扉を開ける。
 
川上 力也 :「それじゃ二人とも気をつけて」
 
そしてまた一人に戻る。
つい先ほどまで聞こえていた話し声や笑い声、怒ったような声、冗談を言う声。
それらが全てなくなり、店にはただJazzが漂っている。
 
やがて、レコードが止まり、それすらもなくなる。
店に完全な静寂が訪れた。
 
薄暗い店の中に立つ一人の男はバックバーにもたれながら、静かに目を閉じている。
 
川上 力也 :「…はぁ、たまには静かなのもいいけど、静かすぎると色々考えすぎるな。やっぱり何かかけよう」
 
レコード棚に向かい、手を伸ばす。
取り出したのは、チェット・ベイカーの『Definitive』
 
川上 力也 :「たまにはこっちの聴いてみるか」
 
ターンテーブルが回り、それと一緒にレコードも回る。静かに針を落とすと、店にJazzが戻ってきた。
 
川上 力也 :「あ〜、やっぱチェットの「Easy Living」はいいなー」
 
流れている歌は「Easy Living」
スピーカーを通して、チェット・ベイカーが語りかけてくる。まるで誰かの代わりにその心情を歌っているように。
 

 
For you maybe I'm a fool but it's fun          君から見たら、僕は愚かだろうね
 
People say you rule me with one wave of your hand    他人には「女の尻に敷かれているヤツ」と言われてるかもしれない

Darling it's grand,they just don't understand      でも、それって素敵なことなのさ。みんな、全然分かってないよなぁ


奥にやっていた写真立てを手に取り、また写真を見つめる。
 
川上 力也 :「いつまでも未練たらしくこんなの持ってるなんてあいつらが知ったら、なんて言われるかな」
川上 力也 :「特に初美さんなんかが知ったらボロクソに言われそうだなー」
 
つぶやき、苦笑する。
 
川上 力也 :「そりゃまぁ、自分から別れようって言っといて、そして二人と関わらなくていいようにお店の場所も変えて、なのに二人のことが気になるからあんまり遠くには離れられなくて、しかもこの写真どころか結婚式のビデオや公也の運動会のビデオなんかもそっくり大事にしまってるもんなぁ…」
 
川上 力也 :「自分がジャーム化して二人のことを傷つけるのがイヤで今の生活を選んだのに、その危険なジャームから一般人を守るUGNの仕事もできるだけ受けずにバーテンダーとしてのちっぽけなプライドを守りたがってるし」
 
川上 力也 :「つくづく中途半端だな、俺って…」
 
川上 力也 :「こんなの中途半端なままなのに、それでいていつかまた昔みたいに暮らせたら…なんて夢見たいなこと考えてるんだもんな」
 
川上 力也 :「でもまぁ、いいか。今はそれで。あんまり考えすぎても堂々巡りになるだけだ」
 
川上 力也 :「それに、こうやって絆や対面にこだわるってことは、きっとまだまだ俺は人間でいられる」
 
川上 力也 :「人間でいられるうちは、叶わないかもしれない夢を見たり、自分のちっぽけなプライドを守っていよう」
 
川上 力也 :「さーて、そろそろ1時か。今日はもうお客さん来ないだろうし、早めに閉めるかな」
 
そして「closed」の看板を掛けに、外に出る。
ひとしきり吐き出して気がすんだのか、その足取りは随分と軽やかだ。
 
主のいなくなった店で、しかしJazzは静かに流れ続けていた。
 

Living for you is easy living              君のために人生を捧げて生きる

It's easy to live when you're in love          なんて幸せな生き方なんだろう

And I'm so in love there's nothing in life but you    君に愛され、君を愛する。人生に君しかいないみたいに
 
 
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「『Easy Living』にて」
 
〜fin〜